死後について

死の研究の意義
死の研究ほど多くの学問領域にまたがる学術的な学問は無いであろう、なぜなら死の研究は人間の存在そのものを問う研究であり臨床医学・心理学・社会学・哲学・宗教学などの幅広い知識が必要だからである。
                                    ー「カール・ベッカー」ー
私はさらに、物理学・量子力学を付け加えたいと思います。
人が死に向かう時に体験する9つのこと
①経験したことがないような心地よさを感じる。
②部屋が歪んでいるように見える。
③名状しがたい美しい音楽や声が聞こえる。
④暗闇に引き込まれる。
⑤明るい光が現れ、天に昇っていく。
⑥神のような存在に会う。
⑦幽体離脱をする。
⑧過去の回想シーンが流れる(いわゆる走馬灯)
⑨誰かがお迎えに来る。
魂が抜け出る目撃談
看護師の中には病室に入っていくと、死んでいく方の身体から何かがスウッと浮かび上がって壁の中に消えていったのが見えて気絶した人もいます。
人間の脳の前頭葉のすぐ横の側頭葉の上部に角回という領域があります、ここを電気刺激すると幽体離脱が起こるのです。
スウッと身体から意識が抜け出すのです、だから魂が抜け出すのではなく、脳が生きていてそのような現象を起こすのだろうと考えられるわけです。
                       ー志賀 貢(医学博士)ー
死後の世界の共通点
臨死体験者が語る「光に包まれる」とか「光がさしてくる」などの光はどのような意味があるのでしょうか、さらに「お花畑」の出現の意味とは?
そして暗闇と光は常に現れます、そしてお迎えの人物の登場である。
薬でも同じような臨死体験(幽体離脱)は可能だそうです、つまり脳の幻覚作用により体験可能になるようである、そこにお花畑が現れて、その向こうに川がある。
きれいな花を見て感じることは何でしょう?
人類の歴史から紐解けば、色彩豊かな花々に囲まれると何とも言えない感覚を覚えるのではないかと思います、色とりどりの花に見とれてしまうのですよね。
それは、植物の生命力に包まれる感覚が何かしら生命の不思議さを五感で感じている瞬間なのかもしれません、人間の潜在意識の中に刷り込まれているイメージが死者が通る道の途中に存在するのかもしれません。
また、光差す所へ人間は必ず進んでいくと思います、暗闇に進む人はいないと思います、また冷たい所より暖かい所を目指すでしょう、当然の成り行きだと思います。
ここで問題は、それらの景色を誰が見せているのでしょうか?
お迎え現象とは
亡くなった方の家族に聞いたところ「お迎え」が来た方の約9割が穏やかに旅立ったように感じたと答えたと言います。
死を迎える前の対処
①死への恐怖がどんなに強くても、最後は平穏になる方が多い。
②死が近づくと患者さんは何処か遠くを見つめるような視線となり、こちらに見えていないものが見えているのではと感じる事がある。
③死の直前急に意識がはっきりすることがある、その時にはしっかり話を聞いてあげて欲しい。
ある方は、亡くなる前日いきなり目を開き、はっきりした口調で「私の係りの方がまだ来ていないんですって、皆が
待っているのに!」と語ったそうです。
係りというのは、お迎えの係りのことで、その後その方は窓の外を盛んに気にするようになったそうです。
                                     ー長堀 優(ゆたか)ー
                                    (育成会横浜病院院長)
死後の世界の光について
光は光源から遠くなるにつれて暗くなります、しかし実は光にはそれ以上暗くなれない最小単位があるのです。
それが光の粒子である「光子」です、光の明るさは光子の数で決まります、光子の数が多いほど光は明るくなります。
死後の世界でも、光は重要なアイティムと言えると思います、強い光を発する場所が必ず存在して死者を導くのである、光が強いという事は光子の量が多いということになり、エネルギーでいえば大きなエネルギーが必要になります。
逆に暗闇はエネルギーが低い場所になります、どのような暗闇でも死者は光差す方向に進めば道をあやまることなく目的地に着くことが出来るのです。しかしこの光は誰が発しているのでしょうか?
人間の死を学問的に研究するなら
死に関しては単なる体験談の収集に終わってしまえば学問とは言えません、あらゆる角度から体験談の内容や状況などを分析しなければならないのである。
たえず宗教的な信仰や個人の好み偏見などを回避するように心がけ最先端にいる研究者たちが臨死体験の真相と意義を論じ合い論争する
事を通して解明して行かなければならない。
                                        ーカール・ベッカーー
臨死体験をした人は本当に死んでいたのか
死亡したと判定を受けた人が蘇るという事態が起こるのは、実は患者は死亡していたのではなく判定が誤診であったのだという声もある。たしかに、一度完全に死んでしまった人は二度と生き返ることなどありえない。
例えば、脈拍・呼吸・瞳孔の反応・体温・脳波・身体の硬直などによって死亡を判定したとしても、その状況から蘇る例もあるようだ、中には12時間半も死んだ状態だった人もいた、さらには脳波の無い状態(脳死)から蘇ってきた人も確認されているようだ。
このような事柄も1つの現象とみてよいのではないでしょうか。
自殺未遂者の臨死体験
それは「闇の体験」と呼ばれ、真っ暗な大宇宙の真ん中に置かれているような感覚で、一筋の光も見えないという。
動こうと思えば動けるが、どれだけ動いても何物にも遭遇しない、そしてこの世で経験したことがないほどの寂しさを味わう。
時間が経つにつれて、この状態が永遠に続くのではないかという絶望感におそわれる。
このような自殺未遂者が実際に意識を失った時間は長くとも数時間であるが、本人たちはその数時間を計り知れないほど長い期間に感じている。
臨死体験をした人たちの多くは、人生の価値観が大きく変化することがあるようです。
つまりライフレビュー(人生の反省)が促され、自分の欲望を満たす事に明け暮れた今までの生き方が虚しい事であることに気づき、人の幸せのために生きていく中に人生の充実感を見出そうという生き方にシフトしていくようです。
死者に花を手向ける事について
ある洞窟で約6万年前の旧人ネアンデルタール人の遺骨と花粉の化石が発見されました、だれかが花を集め遺体に手向けたのではないかと学会で発表されました。
 そして、1万2千年前の2体の遺骨の周囲の土から草花の化石が発見されています、このことから何万年も前から死んでしまった相手を想う気持ちを花に託していた可能性があります、以上の事は大変興味深い事柄だと思います。
愛する人に花を贈る、死んでいった者に対して花を添える、花には人の心を癒したり和ましたりする効果がある、花が咲き花が散るのを見て生命の営みを感じているようにも思います。
 死んだ者がよく花畑を見るのは、人間の遥か遠い過去から花の美しさの中に人間の愛する心を表現しているのではないでしょうか。
                                     ー「花のある暮らし」よりー
魂の勲章について
ただ一日を過ごすだけでなく、自分の魂を成長させるために、いろいろな出来事や問題が起き、それらを乗り越えることでより魂が輝き、あの世へ還る時の勲章になるかもしれないと思えるようになりました。
 たとえ肉体が滅びようと、誰からの記憶から無くなろうと、自分が得た経験や感動は魂の勲章となって永遠と輝き続けるのです。
                                    ー 中 ルミ ー
                   (国際ホリステック看護協会理事長)